旅の最近のブログ記事
2010年7月 1日
高松紀行6・さよならなんて云えないけれど
高松東港についたのは、フェリー出港の1時間以上前。
かなり暇を持て余すことになってしまった。
同行者もぼくも、口数少なにフェリーを待っていた。
彼はいったい何を想っているのだろう。
今回の旅でめぐった場所に想いを馳せているのか、それとも大勢の観衆とともに臨んだ演奏を反芻しているのか。
ぼくはといえば、ただ無心に近かった。
疲れのせいもあるけれど、自分のたましいだけコンサートホールに置き忘れたような気持ち。
神戸、大阪、そして今回の高松での演奏を見てきたが、終演後の余韻に、ここまで放心したのは高松会場だけだ。
ひたすら叫び続け、ひたすら歌い続け、ひたすら手をたたき続けた。
どの会場でも同じことをしてきたはずなのに、高松のそれは、いっこうに余韻が収まらない。
それまでの旅も、もちろん楽しかった。
うどんもおいしかった。北浜alleyの古倉庫街を活かしたたたずまいも心地よかった。
旅の行程すべてが「高松にまた来たい」と思わせてくれた。
でも、やはりぼくは、あの演奏を見るために高松に来たんだな、とぼんやりした頭で考えていた。
この旅と、最高の一夜の記憶は、一生忘れない。
今度こそ、ぼくにとっての「ひふみよ」は終わり。
最後になったけれど、旅に誘ってくれた同行人、旅先で出会った人々、そして、最高のショーを楽しませてくれたバンドのメンバーに、この場を借りて感謝したい。
最高の旅をありがとう。
ありがとう高松、また遊びに行くよ。
2010年6月30日
高松紀行5・痛快高松港

コンサート会場を出たとき、ぼくはまさに酔いしれたような、吐き出された湯気のごとく、漂うような心地だった。
ああ、夢が夢ならそれでもかまわない。
この宵から覚めてしまえば、またいつもの日常に戻る。
でも、想いを募らせて臨んだ一夜の記憶は、しばらく色あせそうにない。
ますます美化されながら、ぼくの中でさらに大きな熱情へと膨らんでいくのだろう。
さて、のんきに余韻の湯気でのぼせてばかりもいられない。
のぼせていたぼくが潮風に我を取り戻したとき、同行者が、会場に来ていた友人と語り合っていた。
もう時計は22時すぎ、会場に入ってから4時間ほど経っている。
それでも、この感動的な一夜、共有せずにはいられない。
ぼくも半ば興奮気味に、ライブに想いを彼女たちにぶちまけていた。
とここで同行者が、
「なあ、今から食べられるうどん屋知らん?」
......えっ、今から?
というわけで、時間的に最後のうどん屋さん、「五右衛門」さんへ。
カレーうどんが名物、だそうだ。
もちろん注文はカレーうどん。
注文後、ほどなくして広めの器がぼくらの前に差し出される。
服に飛び散らないよう気をつけながら、ツルリとした食感の麺をすする。
......旨い。
間違いなく自分が今まで食べたカレーうどんのなかで3本の指に入る。
量が少な目だったので、あっというまにダシまで平らげてしまった。
カレーうどんを平らげたら、いよいよ帰路。
タクシーを捕まえて、フェリーの待つ高松東港へ急いだ。
2010年6月29日
高松紀行4・小沢健二「ひふみよ」ツアー in 高松

まさかの3回目。
自分でもまさか、である。
今年に入って、彼には驚かされ続けている。
小沢健二がツアーを敢行することの「まさか」。
当初2カ所も足を運べることになった「まさか」。
最初の神戸で彼が本当にギターをかき鳴らしている姿を見たときの「まさか」。
そして、もう大阪で見納めと思った直後に高松公演へ誘われたときの「まさか」。
今年の公演発表から、6月の終わりまで、「まさか」の連続だった。
「まさか」は公演中にもあった。
16小節が24小節になった。
ファンにはこれで伝わると思う。
突然入ってきたTシャツの男たち。
スチャダラパーが、来たのである。
小沢健二という人物は、長らく日本を離れ、姿を消していた。
もう、ぼくに絶対見ることのかなわない黄金のカルテット。
そのときのぼくが発した絶叫と言ったらなかった。
あとで友人が「興奮しすぎてうるさかった」と言われてしまった。
それくらい、ぼくの中で「あり得ないこと」が目の前で起きたのだ。
何より一番の「まさか」は、今まで見た中で一番演奏が素晴しかったこと。
会場全体の空気が柔らかく、メンバーに余裕なものさえ見えた。
音楽は楽しむもの、楽しませるもの。
それを高松会場では肌身に感じた。
「この線路を降りたらすべての時間が魔法みたいに見えるか?
今そんなことばかり考えてる 慰めてしまわずに」
まだ、ぼくが掛かった魔法は解けない。
線路を歩き続ける力を、ほんの少し分けてもらった気がした。
2010年6月28日
高松紀行3・ぼくらが旅に出た理由

山田家を後にした後、船旅と炎天下の行脚で、疲れがどっと押し寄せてきた。
手元のiPhoneで、疲れをとれそうなスポットを探す。
そしてスーパー銭湯発見、テクノロジーの力に感謝。
汗を流し、しばしの仮眠でリフレッシュ。
スーパー銭湯を出た後、「香川のうどんの基準を調べてみよう」という話になる。
で、明らかに地元大衆向けな店構えのうどん店に入ったのだけど、ここがまた旨い。
大阪の学生なら、おやつにマクドナルドか吉野家となるだろうけど、香川の子なら迷わず「うどん食べに行こうぜ」なのだろう。
最低ラインと思って入った店すら、うまいのだ。
まさにうどんの聖地、である。
その後、ぼくらは高松駅へ戻ってきた。
最後の目的地として、同行人が友人から聞いたというカフェに行くことに。
また徒歩である。今回はよく歩く旅だ。
ぼくらが向かったのは、「北浜alley」という、古い倉庫を改装し、ブティックや美容室・雑貨店として利用している一角。
お目当てのカフェ「umie」は残念ながらお休み。
代わりに入ったカフェで、海を眺めながらお茶をいただく。
気持ちの良さに高揚したぼくは、うっかりアジア雑貨店でスツールを購入。
高松港を臨む、おだやかな時間の流れる空間。
今回の旅で、いちばん居心地のよかった場所である。
そして、いよいよ時間が差し迫ってきた。
ぼくにとって今月3度目の小沢健二コンサートツアー「ひふみよ」に向けて、高松駅へ再び足を向けた。
2010年6月27日
高松紀行2・コトデンに乗って

高松に戻り、どうするかを同行者と相談。
うどんツアーをすることはもともと決まっていたので、問題は「どこに行くか」。
ピックアップしていたのは、「なかむらうどん」「山下うどん」という、高松からずいぶん西に向かった2軒と、「うどん本陣・山田家」という高松市内の1軒。
特に山田家さんは、高松に行ったら一度は足を運んでみたかったお店。場所も電車だけで行ける距離。
体力や時計と相談した結果、琴電に乗って山田家さんへ向かうことに。
琴電から望む風景は、とても心地よかった。
途中海が見えたり、屋島という地名に源平の戦乱を思い浮かべたり。
電車の旅を選んで、間違いなく正解だった。
電車を降り、いつの間にか晴れ上がっていた空の下、ゆるゆる続く坂道を登る。
琴電八栗駅から徒歩20分程度だろうか。
角を曲がったところで、突然目の前に現れる山田家さんの格式高そうなお店が現れた。
白壁の美しいお店に入り、冷やうどんを注文。
ほどなくして、氷水に浮かぶツヤツヤのうどんが運ばれてきた。
やっぱり、うまい。不味いわけがない。
朝うどんを食べて、お昼もまたうどん。
高松に到着してまだ2食なのに、うどんしか食べていない。
「四国と言えばうどん」なんてみんな口にする。
その言葉を聞く度に「実際のところどうなんだ?」と訝しんでいた。
けれども、「この言葉はマジだな」というのが、ぼくが山田家で覚えた感想。
四国にとってうどんは主食、むしろソウルフードのようだ。
2010年6月25日
高松紀行1・「ある光」を目指す

今週はじめ、「水曜日、香川行こうよ」とお誘いをもらった。
戸惑いながら上司に休暇のお伺いを立ててみたら、あっさりOKのありがたいメール。
というわけで、臨時のお休みを頂戴し、フェリーを使った0泊3日のささやかな旅に出た。
フェリーに乗るのは十数年ぶり。
航路という慣れない旅に、少しの戸惑いと緊張を覚える。
往路のフェリー待合所で、同じ目的のため高松に向かう女性二人と知り合った。
見知らぬ人が、ぼくらと同じ目的で「ある光」のため、同じ旅へ出る。
お互いが「光」に抱いている想いを語り合う。
ぼくらが目指す衰えることのない光の強さに、ほんの少し胸が熱くなった。
フェリーに乗り込み、やがて船のエンジン音に船室が揺れる。
深夜なので、周りは何も見えない。
どしゃ降りの雨の中、真っ暗闇の海原へ溶け込んで行くように、フェリーが神戸港から離れてゆく。
短い睡眠から目覚めると、もうあたりは薄明るさを取り戻していた。
ほどなくして、船は高松東港へ着岸。
バスで高松駅へ移動したあと、「まずは」とばかりにタクシーへ乗り込む。
フェリー乗り場で出逢った女性たち、彼女たちが下調べしていた、早朝から開いているといううどん屋に同行させてもらった。
これがまたうまい。
店自体は安うどん屋みたいな構えなのだが、
四国と言えばうどんと言うが、しょっぱなから旨いうどんに巡り会うとは。
高松駅に戻り、フェリーの女性たちと別れたあと、ぼくらの高松行脚が始まった。