2010年7月アーカイブ
2010年7月22日
所詮は紙とペンの代わり

iPadが欲しいだの、新しいMacが欲しいだの、我ながら物欲の塊だなと呆れるばかり。
それこそiPadなんか「もし手元にあれば、ああいう使い方ができるなぁ」なんてイメージまでできている。
しかし、「ぱっ」と衝動買いしてしまうのは、前回書いたレコードプレイヤーとか、書店で見かけた本とか。
なぜか、アナログなものに興味を惹かれることが多い。
東京にあこがれていたはずのぼくが、何故古きよき時代の面影を残す中崎町に安らぎを覚えるのやら。
ぼくは手帳でのスケジュール管理が苦手だったのだが、iPhoneとMacを使うことでスケジュール管理に成功している。
そんなぼくでも、「iPhoneあったほうがいいと思う?」という質問に対しては、いつも「ないならないでいいと思う」と答えている。
確かにiPhoneを使うことでぼくの生活様式はスマートになったが、手帳で予定管理している人に、果たしてデジタルなスケジュール管理は必要なのか。
デジタルなツールの話をするとき、よく「紙とペン」が引き合いに出される。
紙とペンに電気は要らない。重さは比べるまでもなく軽い。
ハイテクなものに魅力を感じたとき、一度それが何をするためのものか、立ち返って見た方がいいかもしれない。
「結局アナログなものにかなわない」なんて原理主義的な考えは、また見方を曇らせるけれども。
紙とペンで事足りるのであれば、その人はきっとiPadなんて絶対必要ないのだから。
2010年7月13日
メロディはくるくる回る
アナログのレコードプレイヤーがうちにきた。
ウクレレ教室のレッスン時、先生に「レコード聴かへんの?」と突然尋ねられた。
ぼくが「レコードは何枚かあるんすけどねぇ」と答えたら、プレイヤーを引き取ってくれないかとおっしゃる。
プレイヤーは欲しいけどどうしたものか。
迷っていたら、先生おすすめのレコード2枚もつけてくれるという。
ここまで押されたらもう後には引けず、重量のあるプレイヤーを担いで、うちまで帰ってきた。
棚の上にある物を無理矢理押しのけて、プレイヤーを設置。
設置場所がないのでテレビから出力という、なんとも申し訳ないセッティング。
何はともあれ、適当に手を取ったレコードを乗せて、スイッチを入れる。
レコードが静かに回り出す。
ゆっくり、そっと針をレコード盤の隅に落とす。
テレビのスピーカーから、ジッ、というノイズが鳴る。
そして、ノイズとともに音楽が流れてくる。
なんと言えばいいのか。
当たり前だけど、iTunesなんかで音楽を聴くのと全然違う。
ディスクを回し、針を落とす行為が、音楽を聴くという行為を能動的にさせてくれるよう。
それが作業用BGMであろうと、「さあ、これから音楽を掛けるぞ」という心構えが出てくる。
レコードで音楽を聴くってのは、ある種の儀式のようだ。
アナログかデジタルかといった、無粋なことを申し上げるつもりはない。
ただ、レコードで音楽を聴くことは、音楽と向かい合う丁寧な行為のような気がした。
2010年7月11日
充実した「暮らし」の定義
「暮らしのヒント集」という本を買った。
雑誌「暮らしの手帖」で、読者から寄せられたメッセージを、一冊の本にまとめたもの。
この知恵袋のようなこの本が、これまたおもしろい。
書かれているのは他愛のないことばかりで、
"すぐに取り出せるところに懐中電灯を置いておきましょう"
とか、
"怒ったり文句ばかり言っていると、癖になってしまいます。やさしい気持ちを心がけましょう。"
とか、
"一日に一度、大好きな人のことを考えます。いくつになっても、恋する気持ちを忘れてはいけません。"
とか。
ぼくはこの本を、生活に使えるヒントがないか、という想いで手に取った。
でも、読んでみると、広い意味での暮らし、人が生きていくうえで、少しでも幸せを実感しながら生きていくためのメッセージ集のように感じた。
何しろ、読者の人たちが実生活している上で考えたり体験したりしていることが詰まっているのだ。
半端な自己啓発に関する書籍より、よっぽど「生き方」に重みと深みが感じられる。
大半の人は、手の届く範囲の生活を繰り返している。
もちろんぼくもその一人で、朝になると起きて会社に行き、昼はパソコンに向かい合って仕事をし、夜になると帰ってベッドにもぐりこむ。
この繰り返される日常を、ぼくらは「平穏」と呼んだりする。
でも、誰かにとっての平穏は、自分の日常では気のつかないことが含まれていたりする。
その存在に気づくと、暮らしに充実や新鮮さを覚えるのだろう。
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2010年7月 9日
旅と自分

大阪に住んで、もう30年近く。
学生時分の漠然とした夢ばっかり抱えていたころは、東京に出てでっかくなるんだ!なんて吉幾三のようなことを考えたりもした。
さすがに東京でべこを買おうとは思わなかったが。
年齢を重ねるにつれて、東京に大きな幻想を抱くことはなくなってゆく。
「大人になるってことは、物事をあきらめること」
誰の言葉だったかは覚えていないが、東京という街へのあこがれと引き換えに、ぼくは一つ大人になったのだろう。
その代わり、見知らぬ土地を見てみたいという想いはどんどん強くんっていく。
世界は国という単位で区切られ、国はさらに州や県などといった単位で区切られ、さらに市や町といった単位で......。
人間の暮らす世界は、どんどん細やかな単位で区切られている。
ぼくは旅が好きだが、海外に出たことはないし、遠方に旅へ出たこともあまりない。
普段も関西という単位の空間から、飛び出すことはあまりない。
井の中の蛙ということわざがある。
普段の生活にばかり触れていると、人は自分の見ている世界がすべてだと勘違いしてしまう。
旅に出ると、自分の記憶、見知らぬ空間を歩いたことが刻まれる。
最小単位であるはずの大阪を散歩しているときでさえ、街のささやかな発見に心躍らせることがある。
その記憶は、価値観や世界観という形で、自分を一歩成長させてくれる。
自分を成長させるために旅に出よう、なんて夏休みの予定をどうしようか目論むぼくである。
2010年7月 8日
自分のための幸せ
昨夜の七夕、多くの人が願いを短冊に掲げた。
思い思いの願い事が叶うよう、空にかがややく星へ祈る。
自分の願いが実現することは、本人にとって幸せなことだ。
誰かの幸せを祈り、それが現実になることも、自分にとって幸せと感じる。
幸せの大きさは十人十色。
日々おいしいご飯を食べる、ただそれだけで幸せという人もいる。
例えば、試験で100点を取ったとする。
勉強に勉強を重ね、苦労の末その試験に望んだ人は、心からその結果を喜ぶ。
ただ、勉強せずとも普段から高得点を取る人にとって、それはごく普通のことである。
うれしくないわけはないだろうけど、その重みは人によって大きく異なる。
幸せの反対は、不幸。
言うまでもなく、幸せではない状態を指す言葉である。
だが、「人の不幸は蜜の味」なんて下世話な言葉もある。
裏を返せば、自分の不幸が、誰かにとって幸せにつながることだってある。
自分にとっての幸せが、他人の幸せとは限らない。
人の幸せのためなんて言っても、本当は心の中で「自分の幸せ」を目論んでいるかもしれない。
知らず知らずのうちに、「誰かを幸せにすることで自分が幸せになること」を望んでいたり。
結局、誰かの幸せなんて、その人にしかわからないことだ。
だったら素直に、人の幸せなんて考えは捨ててしまっていいんじゃないか。
自分が幸せになるため、相手の喜びそうなことを考えてればいいんじゃないか。
それでも願わくば、ぼくの身近な人が望む幸せを。
2010年7月 7日
星に、人に願いを
今夜は七夕。
街のあちこちに、色とりどりの短冊が、それぞれの願いを込めて飾られている。
「サッカーがうまくなりますように」だったり、「宝くじが当たりますように」だったり。
自己研鑽を望むものから、金銭的な恵みを求めるもの、世界平和を祈るものも。
老若男女、それぞれ思い思いの願いが短冊にしたためられている。
今夜、大阪の中心部で、願いごとが書かれた光の玉を川へ放流する、というイベントが行われた。
その数、5万個。
単純に考えて、延べ5万人分の「願い」が川に放たれる。
願いの形は、人それぞれ違う。
願いの強さも、人それぞれ違う。
各々の願いを込めた小さな光がつながり、大きな光の川となって流れて行く。
社会とは、人の願いを叶えるために、人間が作り出したシステムだと、ぼくは思う。
組織や個人の持つ願いを、効率的に実現するため作り出されたシステム。
そんな都合のいい世界の中にいるはずなのに、人の願いは尽きない。
それどころか、願いを叶えるはずの世界にいながら、絶望を覚える人がいる。
会社やお客さんの望みのためにばかり動き、心を病む人もいる。
願いとは、自分や誰かの心を満たし、幸せな気持ちにしてくれるもののはず。
七夕の夜、何のための願いか、考えてみるのもいいかも知れない。
ところで、ぼくの願いごとはというと、これはヒミツ。
少し恥ずかしいのと、本気で想い願い、祈っていることだから。
偶然晴れた夜空の星に、静かにこの願いを托したい。
君といつまでも

先日、ヨドバシカメラのデジカメコーナーに立ち寄ったら、「OLYMPUS PEN E-P1生産終了のため現品限り」との張り紙。
E-P1はぼくが持っているものと同じモデルであり、ぼくが初めて手にしたデジタル一眼でもある。
後継機種やエントリーモデル、競合製品、既に市場でシェアこそ少ないものの多く出回っている。
試金石として販売されたE-P1が役目を終えようとしていることはあきらかだった。
近いうちに店頭から姿を消すのだろうと思っていたが、メーカーからはほぼ一年でお役御免と相成ったようだ。
自分が持っているこのE-P1 ホワイトモデルには、いろいろ想い出がある。
中崎に住んでいたころは、こいつを連れて街に繰り出すのが、何よりの楽しみだった。
福井の出張にも連れて行った。花見でも活躍した。
ウクレレの発表会ではこのカメラでカメラマンのお手伝いもした。
カメラを向けると、みんなの笑顔や恥ずかしがる顔が液晶に写り込む。
とにかく、自分にとって最高のカメラであり、最高の相棒なのだ。
さすがに名前をつけたりはしないし、別にぼくのカメラが壊れたわけでもない。
ただ、ぼくの相棒がひとつの節目を迎えたという事実に、一種の感慨を覚える。
あらためて「これからも一緒に歩いて行こうぜ」ってな気分で盛り上がる。
このE-P1はこれからずっと手放さない。たとえ動かなくなったとしても。
ぼくが歩き、覗いてきた風景のカケラが染み付いているはずだから。
Photo by Osamu Koide
Photo by Osamu Koide
2010年7月 4日
留め、伝える
明日は、母方の祖母の3回忌。
その前日である今日、親戚一同があつまって、法事が執り行われた。
一同と言っても、母方の一族である僕たちと、伯母の一族であるいとこ一家だけ。
祖母にはもっと親戚・身内がいて、何人かは健在のはずなのだが、何故母や伯母がその人たちに連絡をしないのかは不明。
もしかすると、いとこや母たちは、僕の見知らぬ親戚に会ったことがあるのかもしれないが。
一通り法事が済んだあと、一同が並んで記念撮影をした。
そんなことをすると思ってもいなかったので、当然だれもまともなカメラは持ってこず。
結局、母のケータイについているカメラで写真を撮ることになった。
苦笑いのような、むすっとしたような。
自分の少し戸惑う表情が、頬から伝わってきた。
祖母のことは、彼女が他界してから知ったことの方が多い。
葬儀の前夜、いとこが、祖母のアルバムを引っぱり出してくれた。
そこにあるのは、紛れもない祖母が観てきた記憶の一部分。
祖母が何十年も前に見てきた風景を、写真を通してぼくが見る。
モノクローム写真ではあったが、飛び越えた時間が印画紙の中に広がっていた。
家族や親戚が集まると、記念撮影といって、皆が一列に並ぶ。
ぼくは天の邪鬼なので、「今ここにいることが大切なのに、記念する必要性がどこにあるのか」と考える。
でも、残された人の為に写真を撮るのだと考えたら。
記念撮影の意味や価値ってのは、あとからついてくるものなのだろう。
2010年7月 3日
忘れては行けない時の流れの中で

大阪で一番好きな町はどこかと聞かれたら、中崎町と答えている。
中崎町とは、戦火を逃れた住居が立ち並び、一部はカフェや雑貨屋として営業している、古い町並みを堪能できる町。
昨年は、その気持ちがたたって、中崎町に部屋を借りたりもした。
今でも髪を切るときは、中崎町にまで足を運んでいる。
その町並みを散歩している間は、日々の喧噪から離れて、ゆったりとした時の流れに溶け込むような気持ちになる。
こんなレトロな町並みに憧れを抱くぼくだが、普段の生活は完全にデジタル的だ。
音楽はMacで聴き、iPhoneを手放す生活が考えられない。
Twitterやmixiで世界とつながっていないと、不安で仕方ない。
知人に、手作り時計の職人を営む女性がいる。
古いビルに店を構えていて、オーダーをするとハンドメイドで時計をあつらえてくれる。
先日お店におじゃましたら、「Macの画面に線が出てえづらくなっている」と言っていた。
見ると、もういつ画面が映らなくなってもおかしくない状況というくらいに画面が乱れている。
そろそろ買い替えだと告げると、彼女は「もったいない、まだ動くのに」と答えた。
ぼくらIT系の人間は、パソコンは消耗品で、時期が来たら買い替えるものと思い込んでいる。
しかし、本当に大切なのは、物を新しくすることではなく、日頃使っているものを長く大切に使うこと。
ないものはないと受け入れる、その余裕は、ずっと、忘れてはいけない。
2010年7月 2日
シャボンの香りの向こうがわ
自宅で、無印良品の香料が入っていない石けんをつかっている。
たまたま無印良品に行ったとき目に留まったものだ。
包みには、無愛想な白い固形が二つほど入っているばかり。
無印良品では、フルーツの香りがついた、カラフルな見た目の石けんも売っている。
しかし、その無愛想なふたつ白い固まりは、カラフルな石けんのひとつ分よりも安い。
貧乏暮らしな僕にはこれで十分だろう、ということで、迷わずその安石けんを買ってしまった。
お風呂でこの石けんを使ってみると、ほんとに香りがない。
しいていえば、石けんの主成分である、油がほんの少し匂うだけ。
で、この石けんで体を洗っているとき、ある疑問が湧いてきた。
「石けんの香りって、いったい何?」
よく芳香剤やその他香りのする商品で、「石けんの香り」と称して売っているものがある。
そして、「石けんの香り」と言われたら、ぼくらはあの柔らかな香りを想像できる。
しかし、本当の石けんは、なんのにおいもしない。
一般的な石けんは、心地よく使うため、花の香りか何かを添加しているのだろう。
つまり、あれは石けんの香りではない、ということになってしまう。
とはいえ、あの香りは、多くの人にとって「石けんの香り」だ。
それは、ぼくらが生まれながら与えられた普遍的な情報に近い。
当たり前と思っていても、少し掘り下げたり角度を変えるだけで、まったく新しい見え方をする。
だからこそ、この世界への興味は尽きないのだろう。
2010年7月 1日
高松紀行6・さよならなんて云えないけれど
高松東港についたのは、フェリー出港の1時間以上前。
かなり暇を持て余すことになってしまった。
同行者もぼくも、口数少なにフェリーを待っていた。
彼はいったい何を想っているのだろう。
今回の旅でめぐった場所に想いを馳せているのか、それとも大勢の観衆とともに臨んだ演奏を反芻しているのか。
ぼくはといえば、ただ無心に近かった。
疲れのせいもあるけれど、自分のたましいだけコンサートホールに置き忘れたような気持ち。
神戸、大阪、そして今回の高松での演奏を見てきたが、終演後の余韻に、ここまで放心したのは高松会場だけだ。
ひたすら叫び続け、ひたすら歌い続け、ひたすら手をたたき続けた。
どの会場でも同じことをしてきたはずなのに、高松のそれは、いっこうに余韻が収まらない。
それまでの旅も、もちろん楽しかった。
うどんもおいしかった。北浜alleyの古倉庫街を活かしたたたずまいも心地よかった。
旅の行程すべてが「高松にまた来たい」と思わせてくれた。
でも、やはりぼくは、あの演奏を見るために高松に来たんだな、とぼんやりした頭で考えていた。
この旅と、最高の一夜の記憶は、一生忘れない。
今度こそ、ぼくにとっての「ひふみよ」は終わり。
最後になったけれど、旅に誘ってくれた同行人、旅先で出会った人々、そして、最高のショーを楽しませてくれたバンドのメンバーに、この場を借りて感謝したい。
最高の旅をありがとう。
ありがとう高松、また遊びに行くよ。