2010年6月アーカイブ

2010年6月30日

高松紀行5・痛快高松港

高松・五右衛門のカレーうどん

 コンサート会場を出たとき、ぼくはまさに酔いしれたような、吐き出された湯気のごとく、漂うような心地だった。
ああ、夢が夢ならそれでもかまわない。
この宵から覚めてしまえば、またいつもの日常に戻る。
でも、想いを募らせて臨んだ一夜の記憶は、しばらく色あせそうにない。
ますます美化されながら、ぼくの中でさらに大きな熱情へと膨らんでいくのだろう。

さて、のんきに余韻の湯気でのぼせてばかりもいられない。
のぼせていたぼくが潮風に我を取り戻したとき、同行者が、会場に来ていた友人と語り合っていた。
もう時計は22時すぎ、会場に入ってから4時間ほど経っている。
それでも、この感動的な一夜、共有せずにはいられない。
ぼくも半ば興奮気味に、ライブに想いを彼女たちにぶちまけていた。
とここで同行者が、
「なあ、今から食べられるうどん屋知らん?」
......えっ、今から?

というわけで、時間的に最後のうどん屋さん、「五右衛門」さんへ。
カレーうどんが名物、だそうだ。
もちろん注文はカレーうどん。
注文後、ほどなくして広めの器がぼくらの前に差し出される。
服に飛び散らないよう気をつけながら、ツルリとした食感の麺をすする。
......旨い。
間違いなく自分が今まで食べたカレーうどんのなかで3本の指に入る。
量が少な目だったので、あっというまにダシまで平らげてしまった。

カレーうどんを平らげたら、いよいよ帰路。
タクシーを捕まえて、フェリーの待つ高松東港へ急いだ。

2010年6月29日

高松紀行4・小沢健二「ひふみよ」ツアー in 高松

小沢健二コンサートツアー「ひふみよ」高松会場

まさかの3回目。
自分でもまさか、である。
今年に入って、彼には驚かされ続けている。
小沢健二がツアーを敢行することの「まさか」。
当初2カ所も足を運べることになった「まさか」。
最初の神戸で彼が本当にギターをかき鳴らしている姿を見たときの「まさか」。
そして、もう大阪で見納めと思った直後に高松公演へ誘われたときの「まさか」。
今年の公演発表から、6月の終わりまで、「まさか」の連続だった。

「まさか」は公演中にもあった。
16小節が24小節になった。
ファンにはこれで伝わると思う。
突然入ってきたTシャツの男たち。
スチャダラパーが、来たのである。
小沢健二という人物は、長らく日本を離れ、姿を消していた。
もう、ぼくに絶対見ることのかなわない黄金のカルテット。
そのときのぼくが発した絶叫と言ったらなかった。
あとで友人が「興奮しすぎてうるさかった」と言われてしまった。
それくらい、ぼくの中で「あり得ないこと」が目の前で起きたのだ。

何より一番の「まさか」は、今まで見た中で一番演奏が素晴しかったこと。
会場全体の空気が柔らかく、メンバーに余裕なものさえ見えた。
音楽は楽しむもの、楽しませるもの。
それを高松会場では肌身に感じた。

「この線路を降りたらすべての時間が魔法みたいに見えるか?
今そんなことばかり考えてる 慰めてしまわずに」

まだ、ぼくが掛かった魔法は解けない。
線路を歩き続ける力を、ほんの少し分けてもらった気がした。

2010年6月28日

高松紀行3・ぼくらが旅に出た理由

高松・北浜alleyのカフェ

山田家を後にした後、船旅と炎天下の行脚で、疲れがどっと押し寄せてきた。
手元のiPhoneで、疲れをとれそうなスポットを探す。
そしてスーパー銭湯発見、テクノロジーの力に感謝。
汗を流し、しばしの仮眠でリフレッシュ。

スーパー銭湯を出た後、「香川のうどんの基準を調べてみよう」という話になる。
で、明らかに地元大衆向けな店構えのうどん店に入ったのだけど、ここがまた旨い。
大阪の学生なら、おやつにマクドナルドか吉野家となるだろうけど、香川の子なら迷わず「うどん食べに行こうぜ」なのだろう。
最低ラインと思って入った店すら、うまいのだ。
まさにうどんの聖地、である。

その後、ぼくらは高松駅へ戻ってきた。
最後の目的地として、同行人が友人から聞いたというカフェに行くことに。
また徒歩である。今回はよく歩く旅だ。
ぼくらが向かったのは、「北浜alley」という、古い倉庫を改装し、ブティックや美容室・雑貨店として利用している一角。
お目当てのカフェ「umie」は残念ながらお休み。
代わりに入ったカフェで、海を眺めながらお茶をいただく。
気持ちの良さに高揚したぼくは、うっかりアジア雑貨店でスツールを購入。
高松港を臨む、おだやかな時間の流れる空間。
今回の旅で、いちばん居心地のよかった場所である。

そして、いよいよ時間が差し迫ってきた。
ぼくにとって今月3度目の小沢健二コンサートツアー「ひふみよ」に向けて、高松駅へ再び足を向けた。

2010年6月27日

高松紀行2・コトデンに乗って

うどん本陣 山田家

高松に戻り、どうするかを同行者と相談。
うどんツアーをすることはもともと決まっていたので、問題は「どこに行くか」。
ピックアップしていたのは、「なかむらうどん」「山下うどん」という、高松からずいぶん西に向かった2軒と、「うどん本陣・山田家」という高松市内の1軒。
特に山田家さんは、高松に行ったら一度は足を運んでみたかったお店。場所も電車だけで行ける距離。
体力や時計と相談した結果、琴電に乗って山田家さんへ向かうことに。

琴電から望む風景は、とても心地よかった。
途中海が見えたり、屋島という地名に源平の戦乱を思い浮かべたり。
電車の旅を選んで、間違いなく正解だった。

電車を降り、いつの間にか晴れ上がっていた空の下、ゆるゆる続く坂道を登る。
琴電八栗駅から徒歩20分程度だろうか。
角を曲がったところで、突然目の前に現れる山田家さんの格式高そうなお店が現れた。
白壁の美しいお店に入り、冷やうどんを注文。
ほどなくして、氷水に浮かぶツヤツヤのうどんが運ばれてきた。
やっぱり、うまい。不味いわけがない。

朝うどんを食べて、お昼もまたうどん。
高松に到着してまだ2食なのに、うどんしか食べていない。
「四国と言えばうどん」なんてみんな口にする。
その言葉を聞く度に「実際のところどうなんだ?」と訝しんでいた。
けれども、「この言葉はマジだな」というのが、ぼくが山田家で覚えた感想。

四国にとってうどんは主食、むしろソウルフードのようだ。

2010年6月25日

高松紀行1・「ある光」を目指す

JR高松駅、看板

今週はじめ、「水曜日、香川行こうよ」とお誘いをもらった。
戸惑いながら上司に休暇のお伺いを立ててみたら、あっさりOKのありがたいメール。

というわけで、臨時のお休みを頂戴し、フェリーを使った0泊3日のささやかな旅に出た。
フェリーに乗るのは十数年ぶり。
航路という慣れない旅に、少しの戸惑いと緊張を覚える。
往路のフェリー待合所で、同じ目的のため高松に向かう女性二人と知り合った。
見知らぬ人が、ぼくらと同じ目的で「ある光」のため、同じ旅へ出る。
お互いが「光」に抱いている想いを語り合う。
ぼくらが目指す衰えることのない光の強さに、ほんの少し胸が熱くなった。
フェリーに乗り込み、やがて船のエンジン音に船室が揺れる。
深夜なので、周りは何も見えない。
どしゃ降りの雨の中、真っ暗闇の海原へ溶け込んで行くように、フェリーが神戸港から離れてゆく。

短い睡眠から目覚めると、もうあたりは薄明るさを取り戻していた。
ほどなくして、船は高松東港へ着岸。
バスで高松駅へ移動したあと、「まずは」とばかりにタクシーへ乗り込む。
フェリー乗り場で出逢った女性たち、彼女たちが下調べしていた、早朝から開いているといううどん屋に同行させてもらった。
これがまたうまい。
店自体は安うどん屋みたいな構えなのだが、
四国と言えばうどんと言うが、しょっぱなから旨いうどんに巡り会うとは。

高松駅に戻り、フェリーの女性たちと別れたあと、ぼくらの高松行脚が始まった。

2010年6月20日

文字だけのサッカー観戦

twitter_soccer.jpg

昨夜、友人と外で夕飯を一緒に取った。
つけめん食べながら雑談していたら、ワールドカップ日蘭戦の話題に。
iPhoneから日本戦のキックオフ時刻を調べてみる。
「あ、もう始まってる」
食後、観戦でもしながら呑もうということになった。
しかしながら、テレビのありそうなバーを探したのだけれども。
これがもうどこのお店も絶望的な状況。
入り口の前に立つことすらままならないすし詰め状態。
「どうする?」なんて相談するにわかファン二人。

そこで取ったぼくらの行動が、今考えても面白かった。
「もうテレビなしでいいから、Twitterで流れ見よう」
こういう日は、普通の居酒屋ほど空いているもので、
チェーン居酒屋に入ると、すんなり席に案内してもらえた。
席に着くなり、文字だけのサッカー観戦。
Twitter上もみんな観戦者、試合解説を誰かがしてくれているわけではない。
ただ、「コーナーキック!!!」とか「あああ、1-0......」とか。
みんなの一喜一憂が、ぼくらを試合の渦に巻き込んでくれた。
試合終了までの流れを、ぼくらは文章の羅列だけで見守り、そして白熱していた。

Twitter自身が、情報の一次ソースになることは少ない。
今回のサッカーも、一次ソースはおそらくテレビだ。
ただし、それらの情報がどんどん集約されてくる。
そして、お互いが知っている情報を他の誰かとシェアし、語り合う。
そんな「心」の共有が、このサービスの面白いところなのだろう。

小沢健二「ひふみよ」ツアー in 大阪

making_hihumiyo.jpg

行ってしまった、2回目。
小沢健二のライブを、これで2回も見てしまった。
彼が表舞台から姿を消したのがおよそ十数年前。
その後に、ぼくは本格的なファンになった。
だから、彼のライブを見ることはないと思っていた。
それがまさか一月のうちに2回も見ることになるとは。
「チケット取られなかったー!」って人もいるだろう。
そんな人を差し置いて、自分が2回も鑑賞。
ちょっと申し訳ない気持ちでいっぱいに。

前回の神戸は、ライブの開始まで不安でいっぱいだった。
だからこそ、小沢健二のカウントアップから始まるライブを全身全霊で受け止めた。
そんなライブを見たあとの、今回は2回目。
曲順も進行もわかっている。
空気感も読めている。
演奏が素晴しいこともわかっている。
もう、なんら臆することなく、彼のステージを楽しむことが出来た。

で、、今回はさらに第三者の目線というか。
知り合いのつてで初対面の方とライブ鑑賞したのだけれども。
その方は、ライブの開始直後から、号泣していた。
終わったあと食事をしようと話していたのだけど、その方だけ先に引き上げることに。
かつて憧れて、もう戻ってこないと思っていた人が、目の前に立っている。
その言葉にできない引きつける力が、彼女を疲弊させてしまったらしい。
おそらく帰宅後も、翌日も、余韻にひたるので精一杯だったことだろう。

もっと思うところはあるのだけど、それは後日。
今回感じた思いのたけを、全てぶちまけてやろう。

2010年6月18日

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2010年6月16日

ある友人の死

写真・大阪、天満にて

中学生のとき、同じ小学校の出身だった友人が死んだ。
特別仲のいい友達というわけではない。
でも、時々会話をするとき、彼は得意の物まねやくだらない笑い話で、いつもぼくを喜ばせてくれた。
「少し面白い冗談を言う少年」
それがぼくの頭に残る、彼のいちばん強い姿。
そんな彼が、中学時代に非行へ走った。
いわゆる学校の不良グループとつるんでいる姿をよく見かけた。
授業中に学校から抜け出す姿を時々見るようになった。
でも、ぼくと接する時は、小学校時代と同じひょうきんな姿が、そこにあった。
物まねをしてくれと頼むと、遠慮せず声色を披露してくれた。
非行に走ったけれど、彼は彼なんだという、人間の本質を彼の中に見ていた。

彼が死んだ翌日、全校集会が開かれた。
教師が命の尊さを説いていたのを、なんとなく覚えている。
なんとなくというのは、「なぜ死んだのか」ばかり考えていたからだ。
前日に教師ともめて、自戒の念から命を絶ったという噂を聞いた。
他の不良グループと争いになり、暴行の末......という友人もいた。
結局、その後もぼくが「何故、彼は死んだのか」を知ることはなかった。

葬儀の日、久しぶりに、彼の顔を見た。
とても穏やかだった。死者の顔には見えなかった。
「なあ、もう物まね見せてくれへんの?」
心の中で彼に聞いた。
答えは、もちろんなかった。
それだけで、十分だった。

なぜ今このことを思い出したのかわからない。
ただ、彼を思い出した。それだけである。

目的と手段

学生時代、作家を目指していた。
落ちこぼれ生産工場のような専門学校でダラダラと2年間を過ごした。
何のために学校へ行ってるのか。
学校に行かず、家に引きこもりゲームばかりしている時期もあった。
ただ、文章を書く授業だけは楽しくて仕方なかった。
とにかく授業のある日が待ち遠しかった。
提出用の小説が間に合わず、徹夜で文章を書くことも多かった。
授業を楽しいと感じ、文章を書いているうちに、飯を喰う仕事に漠然と憧れていった。
ただ、卒業後は「俺にはそんな才能ない」なんてふてくされてしまって。
「物書き」を夢見た自分はどこへやら、毎日PCやユーザーと格闘している。

先日とあるフリーペーパーの編集長が出演しているイベントのUsteram中継を見た。
その人曰く、「目的をフリーペーパーに求めてはいけない」。
自分の学生時代を振り返ると、まさに書くことだけを目的にしていた。
何を書きたいか、それを曖昧なままにしていた。
正直なところ、今でも文章を書く仕事に憧れはある。
このブログは、そんな自分の心のはけ口みたいなものだ。
誰が見るわけでもない駄文をだらだら綴るだけ。
書くことで、憔悴した自分の心をまぎらわすためにある。

このブログ、目的がないことを目的としていたが、結局何も生まれない。
メディアを用いて発信する以上、そのメディアに価値を作らなくては行けない。
とにかく、目標を探す。
まずそれ見つけて、「どうやって伝えるか」を考えようか。

2010年6月10日

小沢健二「ひふみよ」ツアー in 神戸

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小沢健二のライブ情報がリークされた。
身を切る寒さの残る初春、そんな噂を友人に聴かされた。
「どうせどっかのサイトが間違って流したんじゃないの?」
なんて話半分に流していたら、「ひふみよ」ツアー開催の正式発表である。

先日ぼくは、期待と不安のおり混ざった感情を胸に、神戸会場の開演を待っていた。
なぜ、今、小沢健二が戻ってくるんだろう。
十数余年の間不在になった彼は、ぼくの中でどんどん美化されていた。
そのイメージが破壊されやしないか。
まったく別の「小沢健二」が舞台に立つのではないか。
開演まで、チケットを譲ってくれた友人に不安を語り続けた。

しばらくして、パッと場内の照明が消える。
聞き慣れた声のカウントアップと、何百回も聴いたギターが響く。
わき上がる歓声。ためらいなく演奏される音楽。
メロディが聞こえてきた瞬間、開演前の不安の全てを忘れていた。

ライブは、彼の人気楽曲をメインに、新曲数曲を織り交ぜる形で進行した。
途中、彼が世界を渡り歩いて感じた視点を中心にした「語り」が入る。
一時期、「活動家」としての彼の不穏な噂ばかり耳に入ってきた。
しかし、彼は自らの価値観を広げるべく、世界に飛び出したのではないか。
少なくとも、彼の言葉に、演奏に、悲観的な感情は覚えなかった。

「この国の大衆音楽の一部であることを誇りに思います。ありがとう」
ライブの最中、彼はこう言った。
小沢健二ファンでよかった、そう胸を張れる一言だった。

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