2009年11月アーカイブ
2009年11月28日
陽性
2009年11月20日
運搬
2009年11月19日
次、止まりません
2009年11月18日
ヒト撃退機
最近、自宅マンションの入り口に、野良猫侵入撃退装置なるものが設置された。
ネコには不快な「モスキート音」を発生させることで、野良猫の侵入を追い払う、というこの装置。
人間には聞こえないはずの高周波音なのだが、自宅マンションのエントランスを通る度に、突き刺さるような高周波の音がしっかり耳に入ってくる。
自分だけかと思ったが、一緒にエントランスを出た同居人も顔をしかめているあたり、ネコだけじゃなく、人間への撃退効果もあるらしい。
自分はネコ好きなので、こんなものなんのためになるんだろうとか思ってしまう。
むしろ、聞こえてくる不快音によって、よけいなクレームを上げたくなるくらいだ。
しかし、マンション管理人からすれば、糞尿やマンション前で果てているネコの亡骸を処理しないといけない。
もしこのネコ撃退機の効果がてきめんで、マンションに侵入してくるネコが激減すれば、管理人氏の仕事をひとつ減らせるのだ。
自分が不必要と思うものであっても、それがあるだけで仕事がラクになる人だっている。
ただ、肝心のノラネコはというと、撃退装置をうまくかわしているのか、それともはじめから効果はないのか、相変わらず、敷地内の駐輪場などで、かくれんぼしている姿を見かける。
やっぱり、このネコ撃退機は必要ないんじゃないかな。
そんな疑問を頭に浮かべながら、今日もモスキート音を頭に受けて、しかめ面を浮かべながら、自宅の入り口をくぐるのである。
2009年11月17日
ミス
ほんとうに些細なことだが、仕事でひとつミスをした。
正確には、ある仕事について、自分がこうだと思っていた対応を示したところ、目上の人から「それは違う」と否定されてしまった、というところ。
自分は、何でも思いこみやすく、ため込みやすい性格だ。
何かミスをすると、ほかの仕事でもミスをするんじゃないかと、自分への猜疑心におそわれて、仕事が手につかなくなる。
まさにそんな一日で、自分が迷わず進もうとしていた道が、間違っていると示される。
進もうと思っていた道が違ったのだから、じゃあどちらに進めばいいのかと、混乱を起こす。
こうなってしまうと、自分ではどうすることも手に負えない。
ありとあらゆるものが、間違い何じゃないかと思いこんでしまう。
まったく別の問題である、自分が手持ち仕事すべてが「ノー」なんじゃないかと、思いこんでしまう。
こういうとき、問題を解決する方法は、ただ一つ。
しかも当たり前かつ簡単な方法。
知ってる人に聞けばいい。
切るべきカードを、自分が持っていないのなら、持っていそうな誰かに、代わりに切ってもらえばいい。
結局、自分が悩み詰めていた問題も、ほかの人に聞いてみたら「ああ、じゃあしゃあないな。ここは......」とあっさり対応を明示してもらえた。
他人の人生相談・恋愛相談を聞いてみると、たいていはすぐ自分の答えを指し示せるのと同じ。
自分が悩んでいることの8割は、第三者からしてみると他愛もないことのようだ。
2009年11月16日
不便で得られるもの
諸事情で、役所で事務手続きに行ってきた。
会社には「区役所にて手続きを行うため」という理由で届けを提出。
本当は、区役所の用事なんて、朝一番に窓口に行けば、午後から会社に出社することだって可能だ。
でも、今回は、迷わず丸一日の休みをいただいた。
休みを取るときに、「私用のため」と伝えるより、「区役所での事務手続きのため」と上司に伝えるほうが、なんとなくだけれども、抵抗感を軽減できるのは気のせいだろうか。
日本政府が、まるでお題目のように唱えたIT革命。
行政サービスも、どんどんインターネットやモバイル窓口を開設している。
にも関わらず、もっとも身近にるはずの住民サービスは、職員の捺印作業から抜け出せずにいる。
行政が不便だからこそ、ぼくのような社会人は、「役所に行くため」という理由で、会社から抜け出せるわけだ。
もちろん、実際区役所にいたのは、ほんの30分ほど。
手に入れた暇でなにをしたかと言えば、真っ昼間から寿司とビールで酒宴を楽しんだり、友人を無理やり集めて街角散策と食事を楽しんだり、などなど。
みんなささやかで、しかも、休みの日にできることばかり。
それが平日になると、途端に贅沢かつ貴重なものに思えてくる。
この国では、会社に所属したとたん、休暇を取得することに罪悪感を感じる、という悪い慣習がある。
しかし、だからこそ、時々手に入れた休みに、何か特別な充足感を得ることもできる。
ものは考えよう、である。
2009年11月15日
時間が経つ
個人的な用事で、実家へ帰省した。
と言っても、両親と同じ大阪府下に住んでいるのだから、帰ろうと思えばいつでも帰られる。
しかしながら、実際に帰省するのは、実に1年近くぶり。
散らかった部屋に、統一性なく並べられた置物、母が必要以上に買ってくる椅子。
配置こそ変われど、ぼくが住んでいたころとなんら変わらない。
はずなのだけれども、なぜか落ち着かない。
居心地自体は変わらないはずなのだけれども、なんか感じる空気にそわそわしてしまう。
その正体は、不愛想に椅子の上で眠っているネコと遊んでいるときに気づいた。
昔はデブネコ呼ばわりまでした白ネコが、いまや、あばらの筋が見えるくらい、痩せ細ってしまった。
背中をさすると、「みゃあ」とか細い返事。
その声で、気づいたことがある。
時間が経った。
ただそれだけ。
同じ感覚を、ここ数年で2度味わった。
一度は、は祖母が亡くなったとき。
一度は、実家のインコが亡くなったとき。
何かが朽ちていくのを目の当たりにしたとき、無情な時間を実感してしまう。
ぼくが実家を出てから、3年くらいしか経ってない。
それだけの時間で、多くのものが歳を取ってしまった。
それは、もちろん僕も同じ。
これを意識しているかどうかで、一分一秒の価値観は大きく変わってくる、そんな気がする。
あと何十年、いや何年生きられるかわからないけれども。
「いい人生だった」
この一言を書ける、そんな人生を目指せたらいいなと、心から思う。